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「改定教育基本法」下の学校をどう生きぬくか
■定価=1,700円+税
■四六判・並製
 232ページ

■ISBN978-4-8118-0725-6


RYOJI+砂川秀樹●編
カミングアウト・レターズ
子どもと親、生徒と教師の往復書簡

 定価=1,700円+税

ゲイ/レズビアンの子とその親、生徒と教師の往復書簡。家族への、身近な人への告白。初めてうちあける子どもの思い。母親の驚き、葛藤、そして受容。生徒と教師の真摯な対話。18歳から82歳まで、7組19通の手紙と2つのストーリーを編んだ。ゲイ/レズビアンの子をもつ親たちの座談も収録。

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関連イベント

終了しました08年5月17日(土)
ジュンク堂書店三宮店(神戸)にて
「愛ダホ神戸2008」記念トークセッション
「 『カミングアウト・レターズ』への思い」開催

カミングアウト・レターズへの思いを語り合うトークセッションをジュンク堂書
店三宮店8階会議室で開催します。編者のRYOJIさんをはじめ、ゲイ・レズビアンの当事者と家族が、
性的少数者として生きる中で抱える率直な思いを語ります。
なお、「愛ダホ神戸」は、性的少数者について考える日を記念して行なわれるイべントの総称です。

日時    5月17日(土)  14:00〜15:30
場所    ジュンク堂書店三宮店8階会議室(三宮センター街)→地図(左下側の"三宮店"です)
参加費   500円 
出演者   RYOJI (カミングアウト・レターズ編者)
       尾辻孝子、清水尚美 (NPO法人LGBTの家族と友人をつなぐ会)
       繁内幸治 (【エイズとともに生きる】BASE KOBE)

主催    【エイズとともに生きる】 BASE KOBE
共催    (株)ジュンク堂書店三宮店、愛ダホ神戸2008
後援    神戸市、神戸市教育委員会
協力    NPO法人LGBTの家族と友人をつなぐ会、(株)太郎次郎社エディタス
参加費   500円

☆ ご参加のお申し込みは、ジュンク堂書店三宮店(078-392-1001)まで
お願いします。(先着40名様まで)
当日は、会場にて、「カミングアウト・レターズ」を販売します。この機会に、ぜひ、お買い求め下さい。

終了しました08年3月2日(日)
東京ウィメンズプラザ(渋谷)にて
「LGBTの家族と友人をつなぐ会 in東京」(lgbt.web.fc2.com/)
開催

終了しました08年2月8日(金)
ジュンク堂書店新宿店にて
トークセッション
「親子は”わかりあえなさ”を超えて
   ゲイ/レズビアンとその家族の場合
(junkudo.co.jp)
開催

終了しました08年2月2日(土)
パフスペース(早稲田)にて
「『カミングアウト・レターズ』 
   編者がパフにやってくる
(pafnight.com)
開催

 


カミングアウト・レターズへのレターズ

よせられた反響を、筆者の許可を得て転載します
一部抜粋させていただいています

●──悠さんのブログ悠悠自的。より

いつか言わなきゃ、いつか言わなきゃ、と、思いながらも、言えないまま、ここまで生きてきました。
この本には、そんな「いつか」を経験した子どもと親が、或いは、生徒と教師が、自分がゲイであること・自分がレズビアンであることを語った「いつか」のことを、思い返しながらやりとりした手紙が収められています。
この本のなかにいる誰もが、互いのことを思いやり、慈しみあい、だからこそ、苦しんでいます。
個人的に一番泣きそうになりながら読んだのは、最初に収められている、昌志さんとお母さんのやりとり。

「母さんの顔を見たとたん、あんなにカミングアウトを願ってたのに、後悔しそうになった。母さん、動揺を隠そうとしたから、俺に見せまいとしたから、よけい本当は怯えてるんやって分かってもうた。」(昌志p.13)
「あの時はただ、『母さん、俺、人を殺してしまった』と言われたみたいに、怖くて怖くて、ただ、あなたが壊れてしまわないように、引き止めるために聞いていた。」(母p.21)

自分が誰のことを好きなのか、誰と生きていくことを願うのか。
子どもが誰のことを好きなのか、誰と生きていくことを願うのか。

本当は、ただそれだけの話。でも、自分の/子どもの生の核にも関わってくる、大切な話。
だからこそ、言いたい。だからこそ、言えない。だからこそ、話をしては悔やみ、話を聞いては怯える。
それが、カミングアウトをする、ということなんだと思う。
でもやっぱり、ただ苦しくて切ないだけが、カミングアウトする、っていうことじゃない。

「俺は気持ちを話したんやから、これからは母さんや父さんの気持ちを聞いていきたい。
俺は受け入れてもらったんやから、もう何を聞いても大丈夫。」(昌志p.19)
「それから、幸せになれるよね?あなたのかたちでいい。幸せになりなさい。」(母p.29)

こんな自分だけど、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
どんなあなたでも、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
そんな風に互いを想いやり、確かめ合い、新しい関係を、これまでの関係を、これからも生きていくこと。
そのことを深く刻みこむことが、カミングアウトをする、ということなんだと思う。
この本は、大切な誰かと一緒に生きていくことを考える本です。
ここに手紙を書いた人たちは、あなたにとっては他人かも知れないし、あなたの家族に、或は友だちには、
こういう“問題”を抱えている人は、なかなか“いない”かも知れない。
けれども、これらの手紙は、確かに、いつかの僕へ、そして、いつかのあなたに向けて書かれた手紙でもあるのです。
LGBT当事者の方は勿論ですが、特に、お子さんをお持ちの方・いつか子どもを育てたいと考えている方には、読んで頂きたいな、と、思います。

 

 

●──はんきーさんのmixiの日記より

「カミングアウト・レターズ」、やっと読みました。
やっぱり思いが、いっぱいいっぱい詰まった本です。

1通目の手紙から、自分のことが書かれてあるようで胸が詰まって黙読できなかったんで、小さな声を出して読んだ。
かつての自分を思って涙が出た。
カミングアウトする側とされる側。どちらの気持ちもよくわかる気がする。

砂川さんの解説「カミングアウトを考えているあなたへ、カミングアウトを受けたあなたへ」も充実していて的確。
この本を読んだ人は、まず自分自身へのカミングアウトから始めるんだろうなあ。
できるだけ沢山の人に読んで欲しい本だけど、やっぱり若い子たちに読んで欲しいと思う。

どうしてこの本がつくられたのかという点については、こう書いてある。

『本当なら、ゲイやレズビアンがみずからそいうであることを「わざわざ」言わなくてもいい社会が理想的なのかもしれない。
そのような理想的な社会とは、日々の会話も、社会制度も異性愛だけを前提としない社会だ、
しかし、残念ながら、そのような社会に近づけるためには、逆にゲイやレズビアンがあえ
て言い、そのことをめぐって語っていかなけばならない。
この本もそのような「わざわざ」言わなくてもいい社会にむけて、あえて言い、語るためにつくられた。』

僕がゲイの世界に出入りしだしたころ(サンフランシスコでハーヴェイ・ミルクが「カムアウト、カムアウト」って叫んでたころです)は、「ゲイ」という言葉も一般的ではなかった。「ホモ」だった。バーも「ホモバー」って呼んでた(「ゲイバー」は女装した人がいるところを指す言葉だった)。

そのころに比べたら、カミングアウトするかしないかを選択できるというのは、確実に進歩だと思う(そのころは、「バレる、バレない」だった。)。
この本に出てくるほとんどの人たちが、ゲイ、レズビアンだけでなく、「少数者」のことに思いを馳せている。
これから社会は、着実に変わって行く、そう実感した。

 

 


●──はくたこういちさんの便りより

はるのさんへ

急に寒くなりましたね。いかがお過ごしでしょう。私は今年、意地でもってコタツを使わずに暮らしています。今はフリースの上にどてらを着込み、紅茶をすすり、足温器に足を突っ込み、真っ赤な手のひらに時折息を吹きかけながらこの手紙を書いています。

さて、先日は本を送ってくださりありがとうございました。私が好んでこういう本を手に取るわけではないということをご存じの上で、それでも私に読んでほしくて、送ってきて下さったのだと思います。私のことを信用して送って下さったのだということが、読み始めてすぐに分かりました。本当にありがとう。

届いたその晩、一気に読み通しました。いや、一気にというのは間違いかな、時折内容に圧倒されて休憩を挟みながら読み通しました。

読みながら私は自分の中学・高校時代を思い出していました。今の中高生にもこの本を読んでもらえるといいなと、強く感じています。

ちょっと補足が必要かもしれませんね。この本は同性愛者のひとと、そのことを告げられた周囲のひととの往復書簡を中心に構成されていますから、別段中高生に読者を限る必要はありません。幅広く読まれて、同性愛に関する偏見(もちろん、私も決してそこから自由ではありません)が取り除かれることに役立つとは思います。

それでも、特に中高生に読んでほしいと私が考えるのは、それなりに理由があります。

まず、実際に自分の性的指向で悩んでいる中高生にとって、大きな力を与えてくれるということです。おとなになっても悩むことかもしれませんが、おとなに比べて行動の自由が限定されていて、しかも自分の性的指向をはっきりと自覚するであろうこの時期に、こういう本と出会うことができれば、無用の(あえて無用と言い切ります)苦しみを受けずにすむのではないかと思うのです。

ヘテロセクシュアルの中高生にとっても、この本を通じて同性愛者の苦しみや、その受け止め方に触れることは、大きな意味を持つと思います。自分の何気ない一言が、どれだけ自分の周りにいる(かもしれない)「他者」を傷つけるか。そのことに思いを向けられる心を若いうちに持つことは、そのひとの人生をとても豊かなものにすると思います。

私自身は残念なことに、ひとを理解し、またひとに自分を理解してもらうために何をすればいいのか、全く学ばないまま三十年生きてきました。このことに最近気づき、愕然としています。人間はいつからでも変わることはできますが、率直に言って私は、私自身に対しても、また周囲のひとに対しても、この点においてあまり楽観的ではありません。「他者」への、ひいては自分自身への敬意は若いうちに学ぶにこしたことはないと思います。

ひとを、自分を、理解すること。そして愛すること。その記録が、この本にはつまっていますね。

本当にありがとう。かぜひかないでね。

2008年1月      はくたこういち

 

 


●──akaboshiさんのブログフツーに生きてるゲイの日常より

 親にカミングアウトしてないし、これから本当にするのかどうかもわからない。そんな宙ぶらりんな気持ちを抱えている僕にとっては切実に胸に迫ってくる言葉のオンパレード。いやぁ〜刺さる刺さる、涙腺刺激されまくり。心があっちへ行ったりこっちに来たり。忙しく喜怒哀楽を呼び覚まされる言葉の応酬に、クラクラ来てしまうような読書体験だった。

 僕のような同性愛者が近親者にカミングアウトをためらう時って、「拒絶されて自分が傷つきたくない」のと同じくらい、「相手を傷つけたくない」という気持ちが働くのではないかと思う。同性しか好きになれないという自分の本性から、逃げ続けた思春期の経験がそうさせる。自分ですら大変だった思いを、なんで年老いた親に背負わせなければならないのか。そういう思いがあることは否定できない事実だ。もともとは社会に蔓延するホモフォビア(同性愛嫌悪)が原因なのだけど。

 カミングアウトってものは、する相手との関係が近ければ近いほど、もしも壊れてしまった場合のリスクが大きい。だから失敗した場合にフォローが出来るかどうか自信が持てない限り、躊躇するのは仕方のない事だと思う。それを「だらしない」とか「意気地なし」とか強者の論理で責めたてるのは勝手だけど、世の中強い人ばかりではないことを、僕は自分を通して知っている。強くなってしまうと見えなくなってしまうことも、あるのではないかと思ったりする。同性愛者に生まれついたということだけでも結構シンドイのに、なぜ「カミングアウト」という行為をせねばならないという重圧まで背負い込まされなければならないのかと、本音では思ったりすることもある。

 RYOJIさんと砂川秀樹さんの編著として出版された「カミングアウト・レターズ〜子どもと親、生徒と教師の往復書簡」には、そんな重圧と戦った人たちの体験談がたくさん詰まっている。でもこの本に出てくる人々は、けっして強いわけではない。ああでもない、こうでもないと悩んでもがいて葛藤しているから読んでいて引き込まれるし、親近感が持てる。繊細な感性で自己の行為をふりかえり、強靭な「魂」を込めて綴られた言葉の数々。だけれども、この本の全体から醸し出される雰囲気は、ひとことで言うならば「静謐」。そんな不思議なアンバランスが見事に成立しているのが不思議だ。編者2人の個性なのだろうか。

 僕はこの本を読んで不謹慎にも、こんなことを思ったりした。「カミングアウト」という通過儀礼のようなものがあり、「しなければならないこと」だという強迫観念に苛まれ続けることって正直ウザったいけれど、同時にそのハラハラ・ドキドキを通していろんなことを考えられたり感じられたりするわけだから、同性愛者に生まれたこともまんざら悪くはないのかなぁと。

 それが能天気な考えなのかどうかは、これからの僕の歩みが実証するわけだけれども。出来れば失敗したくはないから、まだしばらくは、このハラハラ・ドキドキを瑞々しく感じながら、ゆっくり焦らずに

僕は僕をより深く受け入れていこうと思う。

 

 


●──yejinさんのブログ「きままにあいまに」より

『カミングアウト・レターズ』という1冊の本を紹介します。
この本は、ゲイやレズビアンであることを、親や教師にカミングアウトした経験を持つ人が、あらためて、カミングアウトした親や先生に手紙を書いて返事をもらい、その往復書簡を掲載した本です。

読み始めて少しして、これはうかうか人前で読めないぞ!と思いました。
そこに書かれているのは紛れもなくノンフィクションで、大切な人に向けて発せられた、愛のこもった言葉でした。読み進めれば進めるほど涙があふれてきます。

ありのままの自分を受け入れてほしいという願い。
自分の子がそうであるということを受け入れていく葛藤
差別と偏見の中で生きていかなければならない現実
子どもを残せないことへの不安
信頼できる人との出会い
自己肯定していく経緯 などなど・・・。

マイノリティが抱える葛藤という点においては、「在日」とも共通する課題や問題を感じて、共感することが多々ありました。

しかし、彼らにとって大きな問題は、おそらく誰にとっても一番身近で、もっとも自分のことを理解してもらいたい、受け入れてもらいたいと思う相手である親に対して、なかなかカミングアウトできない、しても受容されないという現実があることだと思います。

ゲイやレズビアンの人は、強固な一般的社会通念という壁にはばまれ、うちのめされることが多いのではないか? 傷ついて誰にも明かせず自分を肯定できず生きているのではないか? そう思うと胸がしめつけられます。

何より自分を生んで育ててくれた親や、親しい友人たちを偽り、本当の自分を隠し通し続けるのは、心に大きな負担を背負って生きることだと思います。

でも日本社会は決してセクシャルマイノリティにとって優しい社会ではないと思います。親しい友人に対してであっても、いざカミングアウトしようとすれば、様々な反応を想定して心の準備をするに違いありません。

私も私なりに、友だちに「在日だよ」と話す時にはちょこっと勇気出してみたり、様々な反応に対する心構えをしたりします。それはそんなに深刻なものではないけど、間違いなく、いっこいっこの反応に対して自分の在りようを探ってきたかなーと思います。
色々なことを考えさせてくれて、この本と出会えてよかったなーと思いました。
そして、ひとつ私は自分に誓ったことがあります。私が子どもを生んで育てたとき、もし子どもからカミングアウトをされることがあったら、ぎゅーーって抱きしめてあげたいと思います。そして「よく話してくれたねありがとう」って言おうって思います。

今日、インタビューの打ち合わせということで、この『カミングアウト・レターズ』を編集した、砂川さんとRYOJIさんというお二人のゲイの方に会いました。

率直に私の感想を話して、自分が親になったときにこうしたいと話すと、とても喜んでくれました。1時間ほどでしたが、マイノリティ体験としての「カミングアウト」についてお互いの経験を話し合うなかで、マイノリティならではの社会に対する共通のまなざしを感じることができて、とても気持ちの良い時間を過ごさせてもらいました。

最近強くなってきている想いなんですが、この気持ちのよい出会いや時間は、反面切なさを伴います。
嬉しいのに胸が苦しい・・・。
最近芽生えたこの不思議な気持ちを、私はどう言葉にしていいかわからないのですが、たぶん、私自身の小さな変化がもたらした、新しい感情なのだと思っています。

人と向き合いつつ知ることは深い。
そして、何より誰かを通して問題と触れることは、知識を頭に詰め込むのとはまったく違う形で私の体に入り込む感じがします。
まずは、とっかかりとして、『カミングアウト・レターズ』を一人でも多くの人に、読んでもらえたら嬉しいです。

 

 


●──円山てのるさんのblog低能流[ゲイ]文章計画より

 思うに、この良書が持つ意義は、読者の年齢に全く関係がない。
 ヘテロの人たちも、どうか読んで欲しい。そして、ゲイ/レズビアンたちが抱えている苦悩に、正面から向き合って欲しい。これらを素直に読めば、ゲイ/レズビアンたちが何を躊躇い、何に怯え、そして生きるためにどれだけの忍耐と努力と勇気を要するかが、手に取るように理解できるはずだから。
 それから当然のことだが、一人でも多くのゲイ/レズビアンたちに読んで欲しい。カミングアウトを考えたことがあろうとなかろうと、あるいはカミングアウトをしたことのある人たちも、どうかどうか読んで欲しい。そして、それぞれに考えて欲しい。
 カミングアウトとは何なのか。必要なことなのか。自分にできることなのか、できないことなのか。あるいは挑んでみるべきことなのか。

 カミングアウトとは、内なる葛藤である。するほうも、されるほうも。とくに、家族へのカミングアウトには、特別な葛藤がある。僕にとっては、とうとうタイミングを逸してしまった家族へのカミングアウトだからこそ、この本を読んで、今もって踏み切ることができない僕自身の不甲斐なさに、半ば恥じ入るような気持ちにもなった。
 年老いた両親の心を、今さら煩わせることは、どうしてもできない。しかし、もっと早くカミングアウトの決心がついていればと嘆くのだから、すっぱり諦めたつもりでも葛藤は続いている。
 この本の中に記されている生の声は、僕がなかなか挑戦してこなかった(むしろ避けてきた)領域の実例であるだけに、僕の心に深く染み込んでやまない。強く心動かされると同時に、どこか羨ましくもある。複雑な感じがする。

 この本は、カミングアウトへの勇気と励ましを与えてくれる。僕の気持ちを捉えて離さないのは、カミングアウトすることは、相手への信頼の証しであるということだ。
 同性愛を告白した側は、これまで本当のことを言わなかったことについて後ろめたく感じ、告白された側は、どうして察してあげることができなかったのかと謝罪の気持ちを抱く。同性愛であろうと、自分は幸せに生きているからと相手を安心させたい心には、どうか幸せな人生を送って欲しい、家族として/友人として応援しないわけがないとの心が応じる。

 簡単に書いたが、これがすんなり行くとは限らない。
 しかし、カミングアウトする側/される側、双方のよりどころは互いへの信頼感に他ならない。この信頼感が絆を生み、絆が相互の理解を引き寄せる。

 カミングアウトされた側の戸惑いや落胆は、ほぼ共通して、世間一般に流布されている間違ったゲイ/レズビアン認識、つまり誤解から偏見に至る、こびり付いてなかなか落ちない頑固な汚濁が原因である。それに、悪意を根底に蔓延らせている差別的意識/中傷/嘲笑、こうしたものに惑わされ、右往左往してしまうことが、カミングアウトされた側の苦悩の原理として働く。
 やはり、誰あらんゲイ/レズビアン自身が、巷に流れ溢れる心ないゲイ/レズビアンへの揶揄/バッシングに向かって、失敬なことを言うなと声に出す必要性を感じる。

 それと、とくにカミングアウトされた親の場合、いきなりの当惑から、すぐに立ち直って我が子のセクシュアリティーを理解しようとの意欲を掻き立てることが、なかなか難しいのが普通だ。
 同性愛の基礎知識を、独学独習で叩き込もうとしても、気が滅入るだけで、やがて放り出してしまうものだろう。
 だからこそ、<LGBTの家族と友人をつなぐ会>のような、―――ゲイ/レズビアン(LGBT)の家族あるいは友人として、セクシュアリティーの受容に苦悩する人たちのために、知識と理解の輪を拡げる活動サークルへ、彼らを導いて差し上げたいと強く感じる。
 同じ辛さを共有し、それを一緒に乗り越えるプロセスから、ゲイ/レズビアンの家族/友人であることの何たるかを少しずつ受け入れてゆくことができるよう、願ってやまない。

 カミングアウト自体が難関であるから、カミングアウトすることだけでも意義があるのは確かだ。ただ、カミングアウトした先にあるものの大切さにも、思いを馳せなくてはならない。
 カミングアウトした結果、案外、
「はい、そうですか。判ったよ」だけで軽く済んでしまったり、
「べつに、迷惑を掛けるわけじゃないから、同性愛であることを邪魔しようとは思っていない。勝手にしていいよ」と、それ以上のコミュニケーションが遮断されてしまうことが往々にしてある。

 そこで終わってしまってはいけない。
 なるべく、カミングアウトすることだけに満足しないで、繰り返し気長に、ヘテロの人たちが深いところまで僕らの気持ちを理解してくれるよう、ゲイ/レズビアン(LGBT)について語ってゆくことにしようではないか。ちょっと執拗に感じられるぐらい。
 そうしないと、こびり付いた誤解と偏見の汚濁は、なかなか剥がれ落ちてくれない。

<……もし、自分のことを理解してもらいたい、この絆を深めたいという思いをもってカミングアウトをしたいのなら、そのカミングアウトは、一度伝えただけでは終わらないということも覚えておく必要がある。世の中には、ゲイやレズビアンに誤解を持っている人がひじょうに多い。ネガティブなイメージが刷り込まれていることもある。場合によっては、そのような誤解やイメージを丹念に解いていかなければならない。……>(砂川秀樹氏:P.206)

 同性愛コミュニティーに参加することは、”一人じゃないんだ”との癒しを得る機会であるとともに、ゲイ/レズビアンとしてのアイデンティティーを確固たるものに築き上げ、場合によっては<外へ>踏み出す切っ掛けやエナジーを与えてくれる。
 同性愛コミュニティーは、ときに、誰かがカミングアウトするための燃料供給基地となっていなくてはならないのだが、果たして、実際のコミュニティーが、単に内へ籠もるためだけの避難場所として使われていることがないものか、僕らは今一度、検証してみる必要があるかも知れない。

 とは申せ、カミングアウトを強制することはできない。強制するべきではない。これは、あくまで自主的判断に基づく行動である。
 いっぽう、カミングアウトが必要かどうかを考えれば、絶対に必要なことだと、僕は言う。
 ゲイ/レズビアンとそうでない人たちとを隔てる、目には見えない壁に風穴を開けるためには、どうしても、つねに誰かが、新たにカミングアウトし続けなければならないと考えるからだ。
 そして精一杯、ゲイ/レズビアン(LGBT)について語るのである。

 私は社会を変えていきたいと思って動いていますが、一人ひとりのカミングアウトが社会を変えていくんだなと思いました。私も親として友人にカミングアウトするわけです。友人は、セクシュアル・マイノリティとはどこかのだれかの話だったのが、それを友人の息子の話として聞いてくれる。これまではテレビや本のなかの話だったのが、身近な友人の家庭に起こった話として聞いてくれます。そこには冗談もなければなにもない。息子さんは苦しんだ、悩んだのね、と前向きに聞いてくださる。
 一人ひとりがカミングアウトをし、まわりにそういう人がいることを、生身の存在として知らせていく、堂々と自信をもって知らせていく、それが世の中を変えていく大きな力となると思うのです。そうしたことのできやすい社会を、親として作っていきたいと思っています。(清水尚美さん:息子がゲイ・17歳のときカミングアウト:P.192)

 僕にしたところで、両親へのカミングアウトは果たせないままだ。―――それにはそれなりの理由も判断もある。
 人生いろいろ。ゲイもいろいろ―――。
 でも、相手を見て、この人なら大丈夫と判断したら、今の僕は躊躇なく、ゲイであることを告げている。
 さまざまな方法で。
 面と向かって言いにくいときは、このブログのURLを教えるようにしている―――など。
カミングアウトできる環境やタイミングというものもある。それには、当事者の心の環境も含まれる。もはや、告白しても構わないと感じる瞬間が、訪れる人には訪れるのだ。
 <カミングアウトが、できる人から、できる相手に、できるタイミングで試みて欲しい(カミングアウトしようと思わない人は、する必要がない。)>と、僕はつねづね、このブログで書いてきた。

<……カミングアウトは、まわりの人が「すべき」「すべきではない」と言うべきものではない。本人の気持ちとさまざまな状況を判断した結果で、どちらが自分にとってより良く生きていけるかを考えながら決めていくことだ。
 また、ゲイやレズビアンでも誤解している人が少なくないが、「カミングアウトする」ということは、イコール「そのことをオープンにする(誰に対しても隠さない)」ということではない(もちろん、オープンにしてもいいのだが)。「カミングアウトする」とは「ある特定の人に伝える」ということであり、自分が伝えたいと思う人に対して、その時々のタイミングで伝えればいいのだ。もちろん、「どんな相手にも伝えない」という選択もある。>(砂川秀樹氏:P.214)

 ゲイ/レズビアン(LGBT)とヘテロの人たちとは、もっともっとコミュニケーションをとらなくてはならないと、要はその一語に尽きる。
 <話せば、きっと解るのゲイ・リベレイション>である。
 一神教的同性愛禁忌の規範が無く、世間体原理主義に支配されている日本社会は、やろうと思えば、ヨーロッパよりも遙かにあっさりと、人々の、ゲイ/レズビアン(LGBT)に対する偏ったものの見方を改められる可能性を秘めている。
 世間体原理主義を裏打ちしている規範など、これまで、時代の変遷に応じ、いとも簡単に<変更>されてきたからである。
 例えば、いわゆる事実婚など、ひと昔前だったら、滅多に口にできないような理由によって、他にどうすることもできず、こっそりとやっていたものなのに、今では、パートナーシップの一つのあり方として、ごく気軽に事実婚を選択する男女のカップルが増えていると聞く。
二千年近い歴史の過程で、硬く打ち固められるようにして構築された一神教的同性愛禁忌の規範などより、世間体原理主義を裏打ちしている規範のほうが、ずっと容易に打破できるに違いないと、僕が信じるゆえんである。

 まさしく、巻末で砂川秀樹氏が述べておられるように、カミングアウトについて、

<……「言わない/言えないのは当然」だった時代から、「カミングアウトする/しないを
選択する」という時代に移り変わってきた……(P.215)>のである。

 もちろん、それでもなお、カミングアウトは簡単なことではない。
 人生いろいろ。ゲイもいろいろ―――。
 しかし、今一度、カミングアウトとは何なのか、必要なことなのか、自分にできることなのか、できないことなのか、あるいは挑んでみるべきことなのか―――、それらを真剣に考えてみるためにも、ぜひ一度、この優れた本を手にとって読んで欲しい。

 

 


●──heboさんのブログ「heblog」より

ある程度予想はしていましたが、最初の何章か読んだだけで涙が止まりません。ただ、面白いのは単に心が動かされるというだけではなく、深く考えさせれらたり、幸せな気持ちになったりすることです。説明するのは難しいですが、気持ちとしてはなんというか赦されるような感じがします。

僕自身はGであって特に不幸だとかつらいとかあまり感じることはなかったです。どちらかといえばGでなかったら、いろいろな職業の人やいろいろな国の人と知り合えることができなかったんじゃないかなと思っているので、かえって良かったかなと思っています。ただ、やっぱり結婚とか相方のこととか、嘘をつかないといけないこともあって、それは面倒だなと思います。多分心の底では嘘をつくことに対しての罪悪感は感じているんじゃないかなと。。。

嘘をつけばつくほど、Gだから嘘をついているのか、そうでないのかもだんだん自信がなくなってきたり。だからいつも赦されたいと思っているのかもしれません。自分自身全く無宗教なのに「赦される」なんてちょっと宗教チックで、ちょっと笑っちゃいます。

 

 


●──伏見憲明さんの伏見憲明・公式サイトより


いまさらカミングアウト本? なんて思ったあなた、この本はなかなか侮れませんぜ。なんてったってカミングアウトする側の声ばかりでなく、された側の親御さんや教師の赤裸々な声が聞けるのだから。
これまでのこの手の本は(伏見の本も含めて)ゲイやレズビアンの気持ちを代弁するものだった。が、それだけでは片手落ちだった(これ差別表現?)。『カミングアウト・レターズ』は当事者ばかりでなく、自分の子供に性的少数者であることを告げられた家族の気持ちのリアルに分け入っているところが面白い! 面白いなんて言ったら怒られてしまうかもしれないが、読み物としてもちょっと感動を味わえるエンターテイメントに仕上がっている。

カミングアウトとは一方的に少数者の側がするものではなく、それを受け止める側とのコミュニケーションのことを言う(べきだ)。本書はそういう意味では、初めてカミングアウトを立体的にとらえた一冊になっている。差別に置かれながらも可能性に開かれている日本のゲイやレズビアンの「いま」を、見事に映し出しているだろう。

まあ、そんな肩肘張った読み方をせずとも、親と子の自立の物語のヴァリエーションとして、多くの人たちの琴線に触れること間違いなし。そうとう斜に構えて読みはじめた伏見も、途中ぐっと胸に迫るものがあったくらいで。

 

リンク

悠さんが関心空間内に反響特集のページをつくってくださいました
「『カミングアウト・レターズ』へのレターズ」


神戸新聞
・教育欄に紹介記事が出ました。
同性愛の子に理解を 子どもと親、教師の往復書簡出版
記者につないでくださったNGO「BASE KOBE」の繁内幸治さんのブログ
今朝の神戸新聞から - 繁内幸治のちょっといい話

姜咲知子さん×砂川秀樹さん JANJAN今週の本棚
「カミングアウトは新しい関係のはじまり」
(編者インタビュー、動画もあります)

歌川泰司さん All About 同性愛
「【書籍】カミングアウト・レターズ」

LGBTの家族と友人をつなぐ会
「『カミングアウト・レターズ』読んでください!」

 

 

 


執筆者たちがテレビに出演しました!

NHK教育テレビ「ハートをつなごう」

テーマゲイ/レズビアン 特集第1弾

2008年4月28日(月)、29日(火)  20時〜20時29分
再放送  5月5日(月)、6日(火) 13時20分〜13時49分


イトー・ターリさん(letter5)、朝原恭章さん(ストーリー 2)、渡辺圭亮さん(letter7)、尾辻孝子さん(座談会)、砂川秀樹さん(編者)、が出演しました。
石田衣良さん、ソニンさんによる昌志さん母子の手紙(letter1)の朗読もありました。

 

 

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