| ■おもな目次 
 二枚の写真--まえがきにかえて
 
 1章 呼びもどす、ことば
 心ふかく人間のこととして
 一歩をきざむ人びと
 
 2章 突きやぶる、ことば
 たすかったからよ
 識字のあゆむ道すじ
 
 3章 見つめかえす、ことば
 オモニたちの「声」
 うるおいの一滴--李明徳さんのこと
 
 4章 生きなおす、ことば
 ことばの原風景
 はじまりの地に佇つために--若い学び人へ
 
 精神の荒れ野から--あとがきにかえて
 ■著者紹介
 
 1945年、岐阜県に生まれる。1980年より、日本の三大簡易宿泊所(ドヤ)街のひとつといわれている横浜・寿町で、十分な学校教育をうけることのできなかった人たちとの識字実践活動をはじめ、現在にいたっている。それは、文字の読み書きができるかできないかということにかかわらず、人間が生きることの深い学びとして、今もつづいている。
 ■関連記事
 
 ◎『生きなおす、ことば』に寄せて。
 
 楠原 彰さん……教育学
 識字率百パーセント近い日本社会で、教育の機会を奪われ、読み書きができないことによって心と精神に深い傷を負い、地の底を這い回るようにして生きている人たちがいる。
 一方、教育を受ければ受けるほど家族や社会や他者から引き裂かれ、自分の声や言葉を失い、心の闇を抱える若者たちがいる。
 そんな両者が、横浜市寿町の簡易宿泊所(ドヤ)街で毎週金曜日の夜に開かれる「寿 識字学校」で出会う。心に傷や闇をもつ人びとが癒され、人間の尊厳をもって生き抜くちからを獲得していく識字の実践を、そこで四半世紀近くも続けてきたのが、かつて自己否定の青春を送ってきたという大沢敏郎である。
 学ぶことの意味を見失ったひとたち、日本の教育を根底から変える方途を探し求めている人たちは、この大沢の恐ろしい言葉たちに耳を傾けてほしい。教育にはまだ希望がある。
 
 崔  洋一さん……映画監督
 識字で思いだすのはやはり父親のこと。
 十七歳で日本に渡ってきた父親にとっての日本語とはどういう存在だったのか。どこでどう知りあったのか日本人である母親と恋愛し、僕が生まれた。そういえば、父親が日常で使う話し言葉は上手く、朝鮮人であることを意識させられた記憶はあまりない。しかし、それは植民地政策の賜物であり、逆説としての自然人の喪失でもある。
 字を読めない、書けないこととは差別が生む犯罪によるものである。根源たる言葉を奪われた者にしかわからない痛みをわかちあい、その悪しき構造に言葉の礫を放つことの楽天を共有できるのか、はなはだ心もとない時代が現在だ。
 大沢さんの識字を媒介にした人間関係のやるせなさと正直な独白は、いつの日か人間解放の物語の序章として人びとは忘れていくだろう。だが、言葉を奪いかえした人間たちが残した「文字」は、永遠の記憶として屹立している。
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