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卑怯? 勇敢? 仕立屋の大活躍!
・・・・・September9
 

『ひとうちななつ』
グリム童話、らくだ・こぶに 再話、
ラボ教育センター
、1978年

[内容紹介]
 仕立屋が朝めしまえに仕事をしていると、ハエがぶんぶん。仕立屋はこいつらを布きれでひとうち。するとまあ、7匹ものびていた。自分のたくましさに感心した仕立屋は、「ひとうちななつ」と刺繍した帯をしめて、冒険に旅立った。

 

   

卑怯? 勇敢? 仕立屋の大活躍! (なすだ)

 学校というところは、いろいろと人をくらべるところです。
 小学校に入るなり、おまえは駆けっこだとクラスで何番目だの、覚えた漢字の数はいくつだの、忘れ物のをこれだけしただの、いちいち物差しで計って、「お前はこのていどの存在だ」とおもいしらせようとしてくれます。

 そんなふうに並べられ、人とくらべられることに窒息しそうだったぼくに、この話は大きな衝撃でした。
「布きれひとうちでハエを7匹やっつけた」という一事で、これほどまでに強く自分を肯定する仕立屋は、もはや心の師匠と呼んでもいいほどです。彼の語りだしからして振るっています。

「洋服というのは、ポケットのあまりついてないほうが高い。それでおれは、ポケットのたくさんあるのをつくる」
 実用性のない、お高くとまった服への反発が語られています。そして、ポケットがいかに便利かということを、得々と語りだすのです。

「ひとうちななつ」の大戦果に気をよくした仕立屋は、自分のすごさを世に知らしめようと旅に出ます。もちろん、ポケットにいろんなものをつめて。

 物語のクライマックスは、2人の巨人を森に退治にいくくだり。昼寝している巨人たちに木の上からこっそり(ポケットにつめた)石を投げ、巨人同士を仲たがいさせ、大げんかして両方が疲れはてさせてやっつけます。
 このやり方、たしかに卑怯なのです。でも、どうでしょう。なら、小さいものを相手に力くらべを強いる巨人やほうび惜しさに次々と仕立屋を死地に追いやる王様は?
 卑怯かどうかは、手段だけでは決まらないのです。力のあるものがその力をもって弱者をおさえつけるということもまた卑怯なのです。
 そうして押しつけられた競争を悠々とすり抜け、「力の強いものがえらい」というルールの裏をかくことの愉快さを、この仕立屋の活躍は示してくれています。

 この話ももとはグリム童話ですので、たいがいは定型的な三人称の語りです。原典に近い形から紹介しますと、

「とある町で、一人の仕立て屋が仕事をしている時に、りんごを一つ、そばに置いておいたら、たくさんのはえが(略)それにとまった。」『【初版以前】グリム・メルヘン集』(フローチャー美和子・訳、東洋書林)

「ある夏の朝、ちびの仕立屋が、窓辺の仕立て台にのっかって、ごきげんでせっせと縫い物をしていた」『完訳クラシック グリム童話1』(池田香代子・訳、講談社)

「ある夏の朝のことです。ちびの仕立屋さんが窓ぎわの仕立台にむかって、いいごきげんで、いっしょうけんめい、ぬいものをしていました」『完訳版 グリム童話集(1)』(矢崎源九郎・訳、偕成社文庫)

  おなじ語り出しでも、ずいぶん受ける印象がちがうものですね。『初版以前』は民俗調査のテキストらしくそっけないですが、『クラシック』になるとだいぶん 調子よく聞こえます。『完訳版』は敬体で「仕立屋さん」と呼んでいることもあって、かわいらしい感じがします。これが『ラボ版』ですと、冒頭に紹介したポ ケットについての講釈が加えられたうえ、こうなります。

「あれは夏の朝だった。おれはたいそう上きげん、トウ・ラ・ラ・ラ・トゥ・ラ・ラと仕事をしていた」

タイトルも、
「王、仕立て屋、一角獣、イノシシ」『初版以前』
「勇ましいちびの仕立屋」『完訳クラシック』
「いさましいちびの仕立屋さん」『完訳版』
「ひとうちななつ」『ラボ版』
とそれぞれにちがった性質が出ています。

ハエを退治した場面では、
「おれは自分のたくましさにうっとり。『なるほど、おまえはそういうたいした男であったのか。これは町じゅうに知らせねばならん』」『ラボ版』
ときて帯に「ひとうちななつ」の刺繍をします。対して、
「じぶんのいさましいのに、われながら感心してしまいました。『こいつは、町じゅうに知らせてやろう』」『完訳版』
だと刺繍は「ひと打ちで七つ」。
「『おれさまは、こんなにたいしたやつだったのか?』仕立屋は、自分の勇ましさに感心せずにはいられない。『こいつは町中にふれてまわらなくちゃ』」『完訳クラシック』
刺繍は「一打ち七匹!」。
 こう並べて書くと、大げさな感じが増し過ぎて、師匠への敬意も薄れてきますが、とどめを刺すのが、
「単純な仕立て屋だったから、それを見て、これはすごいことになるぞと思い、すぐにとてもきれいなよろいを作り、その上に金色の文字でこう書いた。『一打七闘殺』」『初版以前』
 単純と言われると、返す言葉がないです。

 ともあれ、この「ひとうちななつ」というちょっと聞いてもわからない、でも語呂のいい言葉をキーワードにして、タイトルにまでもってきたことが、『ラボ版』のたくみさでしょう。
 そして、「おれも男だ。ひとうちななつだ」と見得を切って危険に立ち向かうさまが格好いいのです。この語りから受ける印象は、三人称の語りから受ける「ちびの仕立屋が要領良く立ちまわる物語」の印象とはずいぶんちがいます。
 一人称の語りは、近所のおじさんの自慢話を聞く感じです。この実在感があってこそ、ぼくもこの物語に主人公の視点から強く入りこむことができたのでしょ う。こういう子どもにホラを交じえて武勇談を語る、人生をめいっぱい楽しんでそうなおじさんって、最近じゃあとんと見かけなくなりました。

 この物語を、ポケットを主題に改変して、威勢のいい一人称の語りに再話したのは「らくだ・こぶに」こと谷川雁さん。労働運動と詩作のなかに生きた人です。
 なるほど、おおきな力と闘ってきた人であればこそ、こういう痛快な語りができるのか、と納得しました。
 原作では主人公は王様の座につきますが、らくだ・こぶにさんには彼が権力の側にいくのが我慢ならなかったのでしょう。ラストを改作して、王をさんざんにへこませたあと、仕立屋稼業にもどることにしています。

 「なにがなんでもおいらは仕立屋。
  でも世界一つよい、ひとうちななつ。
  そして、ポケットのいっぱいついた服が大すきなのさ。」

 という引きが、このアイデンティティの物語をみごとに完結させています。


(iyochan)

今朝、このページを見つけて読めたのが嬉しかったので、初めてメールしました。
私はラボのテューターをしています。クリスマスの発表に向って、まさにこの紹介の本を使っています。
今、年長児から大学4年生までの50人弱のこどもたちが一緒に、このお話を英語劇として再表現するために、取り組んでいます。
いろんな年代の子どもたちが、ことばからイメージしたこと、感じたことを話し合って子どもたちだけで創り上げています。
私たちのラボ活動には、本と共に専門家が語る物語CDが大事な要素ですから、このCDから聴いて感じたものを大事にしています。
そのプロセスのなかでの、子どもたちの様々な角度から発見には、いつも驚かされ教えられます。
 
ラボ版のお話ではポケットが主題と紹介されていますが、私もすばらしい構成と取り組んで改めて感心しています。
取り組み初めの頃
小5男子「パンに群がったハエ7匹をやっつけたのは、偶然とはいえ、自分の力だった。
絶対に自分ではかなわない相手と向きあう時には、力ではなく、自分の知恵を使って乗り越えたのがすごい。」と、感想を話してくれました。
小2男子「王様はもともと仕立て屋になにもやるつもりはなかった」
高1女子「王様と仕立て屋の力が逆転していく様子を表現したい」
     「いつもポケットの中の物が仕立て屋を助けている」
大4男子「ポケットは仕立て屋の知恵袋だ」・・・などなど、気づきは書ききれないほど、話し合いをしました。
最後の仕立て屋のことばでは、
「気づかなかったいつもの生活が、一番大切なものだったと気づいた」
「でも、以前の仕立て屋ではなく、自分に自信を持った人になっている」
「自分たちもいっぱいポケットに知恵をつめたい」
と、仕立て屋を自分に引き寄せて考えています。
私は、この仕立て屋の仕事部屋も、つまり、仕立て屋自身のポケットではないかと思います。
〜ポケットは大事だぜ〜のことばを、子どもたちが力強く心地よく語ってくれるかなと思っています。
権力とか難しいことはまだ理解できない子どもたちが、この物語からいろんなメッセージをキャッチしてくれるのが、関わる大人として嬉しいです。
最後に書かれている箇所、近所のおじさんの自慢話を表現するところです。
私もそう思うのですが、子どもたちは初めの頃この表現をして・・・・結局やめることにしちゃったようです。でもまだわかりません。
 
このように活動を重ねるたびに変化し続けているたびに、お話が生きていきます。
長々とすみませんでした。
読んでいただいてありがとうございました。紹介はとても参考になりました。

 

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『なまけものの王様とかしこい王女のお話』
ミラ・ローベ作、ズージ・ヴァイゲル絵、佐々木田鶴子訳 、2001年、徳間書店

かっちゃんのこと

  ある国にナニモセン五世という大変なまけものの王様がいました。365日、たらふく食べては寝、食べては寝ての繰り返し、333人の家来たちに何もかもやってもらっているので、自分の足で歩くこともできないほど太っています。
 一方、この王様の一人娘ピンピは王様とは対照的。走り回ったり、遊んだり、朝から晩までのみみたいにはねまわっています。
 さて、ある日王様は病気になってしまいました。国中のどのお医者様も治せないほど重い病気です。ピンピは自分でお医者様を探しに、訪ね歩きます。そして 森の中、ガウデオという羊飼いの少年に出会い、彼のおじいさんからナマケモノ病の治し方を教えてもらうのです。ピンピとガウデオは知恵を出し合って王様を 森に誘い、いつしか王様はすっかりハタラキモノになって、自分の力でナマケモノ病を治してしまいます。

(たまちゃん)

つづきはこちらから

 

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