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学校を非学校化する
新しい学びの構図

学校を非学校化する 新しい学びの構図

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学校を非学校化する
新しい学びの構図

発行日 1994年10月発行
判型 四六判・上製
頁数 224ページ
価格 本体 2000円+税
ISBN ISBN978-4-8118-0630-3
Cコード C0036

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内容

1─教師が教え、生徒は教えられる。2─教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。3─教師が考え、生徒は考えられる対象である。4─教師が語り、生徒は耳を傾ける。この関係をかえること、それは社会文化の変革である。

目次

I  脱学校から非学校化へ
1 脱学校の思想
 エヴァレット・ライマー『学校は死んだ』
 イヴァン・イリイチ『学校化された社会』
 ポール・グッドマン『不就学のすすめ』
    ジョン・ホルト『教育に代わるもの』
2学校と学校文化を考える
 学校文化を批判する三つの視点
 学校の権威主義はまず正解信仰となって現れる
 差をきそいつつ画一化する
 与えられつづけて貧しくなる

II いま、なぜフレネか
1 フレネ教育から学ぶもの
 教育現場から生みだされた教育学
 子どもを中心に、教育の組み替えへ
 “本から学ぶ”ではなく、生活から学ぶ
 授業を超えて、子ども自身の活動へ
2 コミュニケーションの再構築
 テキストをうみだすことで、自分の“世界”をつくる
 教科書とその一斉授業に印刷機を対置する
 活字を伝達のメディアから対話のメディアへ
 生徒-教師の関係性の変革を-フレネとフレイレ
 対話によって世界を読み、表現する
 なぜ、「書く」ことを重んじるのか
 表現することと、関係性をつくることとを組織する
3 「制度のペタゴジー」をめぐって
 「制度のペタゴジー」とはなにか
 フレネ教育からわかれて「制度のペタゴジー」をつくる
 精神科病院のなかの自主管理がどう行われたのか
 学級評議会は、集団の眼・集団の頭脳となる
 「制度のペタゴジー」がめざす変革のトレーニングとは

III 世界を読み解くということ
1 見えないものを見る力
 文章のなかに潜んでいる内容を読みとる
 “社会を読む”とは見えない世界を見ること
 社会を読解する力を育てる
 探求するために、社会を解読し、知識を発見する
 物を読む、風景を読む
 教える者と教えられる者の共同作業を麻痺させる
 死んだ知識の注入は、感覚や思考力を麻痺させる
2 他者とともに世界をつくる
  遊びとしての文学は、“対話”をひらく
  ことばで世界をつくるということ
  対話的創造こそが求められている
【付記】討論
3 詩の授業とはなにか-授業・「春」を検討する
 授業化へのゆたかな解釈を読みとっていない
 アクロバットを演ずるつもりでマンガになった
 子どもが詩を読む糸口が断ち切られる
 子どもの読みの萌芽をつぶしてしまう
 子どもの疑問のより方式のほうが重要なのか
 ここにゲーム化の落とし穴がある
 「春」の授業化への私なりの提案
4 技術の蓄積よりも趣味の変革を
 なんのための「すぐれた技術」か
 業務遂行の効率性のみを追求する
 “法則”は内容ぬきのに手軽な便法にすぎない
 どんな「明日の授業」を求めているのか
 「専門家」以外の批判を封じ込める
 技術の蓄積よりも趣味の変革を

IV なぜ、「現代」を問うのか
1 富裕化社会の危機から生まれる新しい問い
 「豊かな社会」のなかで、子どもたちはどう育つか
 大量生産と大量消費のシステムとは?
 あの手この手の戦術で、消費を堀りおこす
 危機から、新しい問いが生まれる
2 「廃棄物」の問題を授業化する視点
 上水は下水になる
 資源はかならずゴミになる
 廃棄物処理の費用は、だれが負担するのか
 リサイクルの文化をどう考える
3 歴史教育に求められているもの
 行為によって知的思考が獲得される
 歴史家の「仕事場の経験」を共有する
 すべての人が歴史家になる
 思考能力は対話と論争によって育つ
4 戦争のなかでも一人の人間としての行動が問われる
 被害者の視座から加害者の視座へ
 臭いものにフタをする日本人の「誇り」とはなにか
 「悪いのは国家だ、天皇だ」という発想を超えて
 どんな状況のなかでも、自分の行動をえらぶ自由と責任がある
 ひとりの人間としての判断がせまられるとき

著者紹介

里見実(さとみみのる)

1936年生まれ。1965年から2007年まで國學院大學に勤務したのち、現在は現代教育思想や中南米演劇などの研究と翻訳に取り組む。
おもな著書に『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』、『働くことと学ぶこと』、『学ぶことを学ぶ』、『学校でこそできることとは、なんだろうか』、『学校を「非学校化」する』(以上、小社刊)、『ラテンアメリカの新しい伝統』(晶文社)、『タイにおける地域再生運動に学ぶ』(農文協)など多数。
おもな訳書に、パウロ・フレイレ『希望の教育学』、ピーター・メイヨー『グラムシとフレイレ』(以上、小社刊)、ベル・フックス『とびこえよ、その囲いを』(監訳、新水社)、アウグスト・ボアール『被抑圧者の演劇』(晶文社)などが、共訳書にパウロ・フレイレ『伝達か対話か』、モアシル・ガドッチ『パウロ・フレイレを読む』(以上、亜紀書房)などがある。

シリーズサイト

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